私の人生、回り道ではなく寄り道が多いだけなのだ

2024.02.06

小学1年生の頃からバスケットボールを始め、中学高校も部活に入り、バスケ漬けの12年間。大学では社会経験を積むため、カフェで4年間アルバイト。大学卒業後は、バスケで身につけた体力とアルバイトで培ったコミュニケーション力を活かすため、営業として就職。現在、社歴10年目。

これは、私がつい最近まで憧れていた人生のサンプルであり、私のプロフィールではない。

ちなみに「バスケ」「カフェのアルバイト」「営業」という部分は他のものでも構わない。ひとつのことを”つづけ”続けた結果、その点と点が真っ直線に繋がっている。その様な人生を送っている人がとても眩しく、羨ましかった。

 当の私はというと、幼少期の習い事も大学時代のアルバイトも長く続けられた経験がない。習い事はピアノ、バレーボール、塾など、いくつかさせてもらっていたが、どれも「やりきった!」と思えるまで続けることなく辞めた。アルバイトにおいてはコンビニ店員をしていたが、これもまた長くは続かず、派遣のアルバイトに切り替えてからは、あえてひとつに絞らず10個以上の職場を転々とする日々を送っていた。

それぞれの辞めた理由を振り返ると、自身の対人関係に敏感すぎる性格が関係していることは間違いないが、本当の理由はそれだけではない気がする。自分でもしっくりくる表現が未だに見つからないのだが、渋々続けている時間が無駄に感じる、そんな感覚だ。

社会人になってからもこの状況が変わることはなく、10年間の間で5回の転職を繰り返した。

退職理由は、人間関係、仕事内容、給与問題……さまざまあるが、続けていく間に他のものに対する興味が沸いてきてしまい、それをできるようにするためには何をすればいいかという考えで頭がいっぱいになってしまうのだ。もちろん退職までは自分なりに責務を全うするが、興味を持ち始めたことに蓋をしてまで、今の状況を続けるということができなくなってしまう。

加えて、私が興味を持つことは過去の経験やスキルを即戦力として活かせないようなことが多い。なぜ今になって興味を持つんだ、もっと数年でも早く始めておけば……と思うようなことばかり。せめて今やっている目の前のことと関連していればいいのだが……これがいわゆる、飽き性というやつなのだろうか。

私が憧れる”点と点が真っ直線で繋がっている”人生とは程遠く、ひたすら遠回りな回り道をしている気持ちを抱える日々が4〜5年続いた。

 そんな中、HSP(繊細さん)という言葉を耳にするようになり、その一種である「HSS型HSP」という存在を2年程前に知った。

HSS型HSPとは敏感で傷つきやすいのに、好奇心旺盛で新しい環境に飛び込みたくなってしまうという二面性を持つ人のことを言うらしい。つまり、同じ環境に長くいると疲れてしまい、また違う刺激を求める、という行動を繰り返し続けてしまうそうなのだ。

これ、私のことじゃないか。

それからHSS型HSPに関する記事や書籍を読むようになり、私の人生に対する見方を変える一冊の本、エミリー・ワプニック著『マルチ・ポテンシャライト 好きなことを仕事にして、一生食っていく方法』と出会った。

マルチ・ポテンシャライトとは、さまざまなことに興味を持ち、多くのことを探求する人のことを指す造語である。

著書の中で、エミリーは言う。「私達はまっすぐ前にも進むけれど、右や左にも進むのだ。習得したスキルを関連分野を超えた別の分野で、ユニークな形で活かしていく」と。だから、「一つに絞る必要はない」「『天職は一つ』とは限らない」とも。

いわゆる、”成功”や”ゴール”に続く道はまっすぐの一本道なのだとずっと思っていた。だからこそひとつのことを続けて、それに関連することを繋いでいくのが最短ルートなんだろうと。

でもどうやら私が他人と違うと長年悩んでいた性格は違って当たり前の個性であり、強みにすることも可能らしい。そして広い世界を見渡せば、私と同じような人間が他にもいるらしい。ならば、活かす他ないじゃないか。

それからは携わる分野がある程度固定され、続けることを前提とされる正社員という働き方を辞め、業務委託として複数の会社から案件や業務を請け負う働き方にシフトした。正社員に比べて収入面など不安定な部分も多いが、自分が”今”興味を持っていることに集中して取り組めることがとても有り難い。実力不足に直面することも多々あるが、やる気重視で採用してくれたり、勉強や成長の機会をくれたりする企業が実は多いことにも感動している。

また、線で繋がることがないだろうと思っていた点と点、つまり自分自身の過去の経験やスキルが全く異なる分野の意外な場面で活きることがあることにも驚いた。これは直接的な知識ではなく、原理原則であったり、考え方であったりすることが多い。無意識的に働いていることがほとんどで、前述したエミリーの本に出会う前にもきっと出くわしている瞬間はあったはずなのに全く気が付かなかった。視点が変わるといろんなものが見えてくるから不思議だ。

 人生で起きることに無駄なことは……やっぱりあると思う。でも、ほぼないのかもしれない。無駄じゃなかったと気が付くのは随分後になってからかもしれないが、無駄になることを恐れて何もしないのは少しもったいない気もする。

今、目の前のルートを少し外れることを「回り道」ではなく、進む道中でついでに立ち寄る「寄り道」だと思えば、もう少し気楽に動ける気がしてきた。寄り道は楽しんだり、ひと休みしたりするためのもの。

私は人より少し寄り道が多いこの人生をまっすぐ突き進んでみようと思う。

この記事に いいね!する >>

// WRITER'S PROFILE //

CAMPBELL HARA

キャンベル・ハラ。関西出身の日本人。約10年の正社員人生で転職を5回以上経験。フルリモートの環境に魅力を感じ、現在は業務請負として働く。いつかフリーランスと胸を張って言えるようになるのが夢。好きな作家はジェーン・スー。癒やしは愛猫。K-POP、辛い食べ物が好き。

上部へスクロール