適応障害で休職することになりました~真面目人間のご自愛日記~

2024.12.20

「本当に頑張っている人は自分で『私、頑張ってる』とは言わないし、頑張っている自覚がない」だとか、「周りから『あの人はいつも努力をしている』と言われている人は、そこまで自分が努力をしている自覚がなくて、なんなら『もっと努力をしなければ』と思っている」だとか、そういったことは世間でよく言われている。

私はそれを言われるタイプの人間だった。
「真面目」だとか「努力家」だとか、誰かが私の印象を言う時、必ずと言っていいほど言われる言葉だ。そして世間で言われているように、私には自分が真面目だとか、努力家だとか、そういう自覚はない。「真面目なところが良いところ」とか「努力ができるところが尊敬できる」とか言われても、自分ではピンとこない。ピンとこないから「なんでそう思うん?」と聞いて、答えられた具体例を聞いて「ああ、なるほど。それが真面目とか努力家とかいう印象になるのか」と思うのだった。ただ自分としては、自分が立てた目標に向かってひたすら突き進んでいるだけであったので、それが「真面目」や「努力」とイコールになるという意識はなかった。

職場でも「お前は真面目やからな」と言われることが多かった。個人的には出張時にちょっと遠回りしてスタバに行くとか、ショッピングモールで買い物するだとか、業務に支障のない範囲ではあったが適度にサボってはいたので、自分が真面目だという自覚はなかった。社内で事務作業をしている時も、集中力が切れるとスマホでゲームをすることもあった。しかし、友人からも職場の人たちからも「真面目」という印象だったようだ。

そんな真面目さが評価されたのか、どこがどう評価されたのかはわからないが、昨年の夏、異動とチームリーダーへの昇進を命じられた。入社して以来、想像したこともなかった出来事だった。
異動といっても同じ営業部の、別の課である。業務内容は少々異なるが、営業という意味では変わりない。しかし、リーダーというような、人をまとめる立場には生まれてこの方、一度もなったことがなかった。しかも部下になる人は全員もれなく年上で、そのほとんどが先輩だった。私がリーダーになるということで反乱でも起こされるんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだが、そんなことはなかった。むしろ「一緒に頑張ろう」と、全員が声をかけてくれた。恵まれた部下たちに囲まれて、私の初リーダー職務はスタートしたのだった。

慣れないことばかりではあったが、優しい部下たちに支えられながらなんとか業務をこなしていた。しんどいことの方が多かったけれど、人に恵まれていたので乗り越えられることが多かったし、助け合いながら良いチームが作れていると思っていた。順調だと思っていた。

しかしその歯車は、今年の冬に崩れ始めた。
新人が入社してきたのだ。その新人が、なんとも私の苦手タイプで、私が「真面目」だとすると「不真面目」なタイプであった。
時間や締切は守らない、言われたことをやらない、返事だけは良い、メモも取らない、取ったとしても見直さないので恐らく覚える気がない(少なくとも覚えようとする姿勢は見えない)、挙句の果てに夜23時半を過ぎてから電話をかけてくる(もちろん私は帰宅して就寝準備をしていた)、メールの送信先間違い、レポートや日報の誤字脱字は毎回当たり前……など、私にとっては許せない言動のオンパレードだった。
最悪、仕事の覚えが悪くても良い。即戦力にならなくても良い。ただ、仕事というのは社内外問わず、信頼関係で成り立つものだと、私は思っている。その信頼関係は、日々の業務の取り組み方で成り立つはずだ。1日で成り立つものではない。こんな新人を、どう信頼しろと?

そんな新人に頭を悩まされている間に、私を支えていた部下たちがいなくなっていった。理由は家庭の事情や、出産による産休・育休など人によって違ったが、信頼していた人たちがごっそり抜けたということが、私の心に想像以上のダメージを与えた。

ここで新人を正規雇用されると、余計に私のバランスが保てなくなってしまう。というか、チームの業務に滞りが出ることは確実だし、何よりこの新人がチームに入ることによって、少なからず残ってくれている部下に悪影響が出ることを1番恐れた。
数ヵ月に渡って上司に訴え続けたのだが、私の訴えは通らなかった。新人は試用期間を終え、正規雇用されてしまった。理由も聞かされたが、私はそれを自分の中で消化させることができなかった。納得することができなかった。

しかし、諸々のタスクは多い。ここで立ち止まっている場合ではない。
人員が減った分、私と残った部下に業務は按分された。部下は頑張ってくれていたが、リーダーという立場上、私の方が振り分けられる業務は多かった。でもそれは当たり前だと思っていたし、自分がやるべきだと思っていたので異論はなかった。

そして目の前では、私が未だ雇用理由を消化できていない新人が、それまでと態度を変えることなく働いている。どうして一人前に仕事ができないあなたが、周りの人たちと楽しそうに笑いあえているんだ? どうしてタバコ休憩だけは先輩たちと同じ時間、堂々と行けるのか? どうしてそんなに大きい態度が取れるのか? どうして、どうして、どうして。
些細な新人の言動に、とてもイライラして乱された。こんなこと気にしたくない。いないものとして扱いたい。でも視界の端っこで、耳が音を拾うだけで、とてもイライラした。そして何より、他の人がその新人を受け入れているのに、周りと同じように受け入れられない自分が間違っているのか? 人間性の問題なのか、それとも何かの病気なのか? とさえも思った。

夏頃から、少しずつお腹が痛くなることが多くなっていった。
胃が痛む時もあれば、腸が痛くなる時もあれば、みぞおちあたりが痛くなる時もある。その痛みも、チクチクしたり、ギューっとしたり、様々だった。
高校生の時からストレスで胃が痛くなることは多かったのだが、こんなに場所や痛みが異なることはなかったので、なんか変……? と少しだけ思っていた。

そこから症状は少しずつエスカレートし、立ち眩みをしたり、椅子に上手く座れなくなったり、食欲がなくなったり、頭が痛くなったり、息苦しくて呼吸が浅くなったり……。全部ストレスのせいだろうなと思っていたものの、今までもストレスには耐えてきたので大丈夫だろうと思っていた。

いよいよ、やばいかもしれない、と思ったのは、スープをマグカップに入れようとしたのに、手にぶっかけたことだった。
私としてはマグカップにめがけてお玉を傾けたつもりだったのだが、マグカップを持っていた左手に綺麗にぶっかけてしまった。ボーっとしていたわけではない。手が震えていたわけでもない。目はしっかりとマグカップとお玉を認識していて、スープをマグカップに注ごうという意識もあった。でも入れられなかった。あ、もうダメかもしれない、と思った。

ダメかもしれない、と思いながら自分の症状をネットで調べてみると、「適応障害」というものが出てきた。精神疾患の1つであり、うつ病と違い、ストレスの原因がはっきりしていて、その原因となる環境から離れれば症状が落ち着く、というのが特徴である。

仕事の関係もあり、クリニックに行ったのは約1ヵ月後だった。
先生に話をしていると、自然に涙が出てきた。下された診断は、やはり「適応障害」だった。
夏からずっと、これは何かの病気なのか? それとも私の人間性の問題なのか? と悩み続けてきた。「適応障害」という精神疾患だということがわかり、少なくとも私の人間性の問題ではないということに安心した。私に至らない点はあったのかもしれないが、私が悪いのではなくて、「その環境に適応できる人とできない人がいて、私は適応できなかっただけ」だった。

診断書を書いてもらい、産業医とも面談した。私の話を一通り聞いた産業医は「休職一択です」と言った。
私としては休職するつもりはなく、在宅勤務を増やしてもらう方向を希望していた。というのも、適応障害という診断をしてもらったことで、私の中にあった「これは病気なのか、人間性の問題なのか」というモヤモヤが解消され、診断前より症状が少し落ち着いていたのだ。その中で「私は本当に適応障害だったのか?」という疑問も少なからず湧いていたのだった。

そのことも伝えると、「じゃあ、それを確かめるためにも、休職しましょう」と言われたのだった。休職することで症状がより出なくなるのであれば、やっぱりそれは職場が原因の「適応障害だった」という結論になるし、休職しても症状がなくならないのであれば、別の病気が考えられる。だからどちらにせよ、一度休職した方が良い、とのことだった。

確かに症状がマシになってはいるが、完全になくなってはいない。一度離れてみないと、症状は治まらないかもしれないし、少なくとも私の「本当に適応障害なのか?」というモヤモヤは晴れない。
腑に落ちた私は、休職することに決めた。

そして昨日から休職期間に突入した。
同僚や友人からは「とにかく休め」とか「ゆっくりしてね」と言われ、産業医や人事からは「太陽を浴びて散歩をしろ」と言われた。とはいえ、具体的にどう過ごしたら良いのかわからない私は、ネットやnoteで「適応障害」「休職」と検索して、他の人は休職中にどう過ごしていたのかを調べた。きっと、こういうのも「真面目」と言われる所以なのだろう。

体験談を書いてくれている人たちは、似ているなと思う人が多かった。休職するにしても引き継ぎをちゃんとしないととか、休職するってなっても急にいなくなるわけだから残された人たちに迷惑がかかってしまうとか、社外とやり取りしている人に関しては、取引先に迷惑がかかってしまうだとか、どれも私が抱えていた考えと同じだった。「真面目な人たちだな」と思った。と同時に、やっぱり自分も「真面目」にカテゴライズされる人間なのだなと思った。ネット調べによると、こういう人ほど適応障害になりやすいらしい。なるほど、わかりやすいほど、私は典型例だったわけである。

休職中の過ごし方は人それぞれではあったが、基本的には最初の1週間は仕事のことが気になってしまっているが、それ以降は割と、ひたすら好きなことをして過ごしているようだった。うむ、それじゃあ私は何をしよう?

一人暮らしではあるが、幸い、すぐ会える距離にたくさん友人がいる。適応障害や休職のことも伝えてはいるので、気にかけてくれており、LINEでやり取りをしてくれたり、適度に相手もしてくれている。友人の有難みを改めて感じている。

そしてせっかくの休職期間なので、ポジティブに捉えることにし、今までやりたくても気力がなくてできなかったことや、やりたいと思いながら手が出せなかったことをやってみようと思った。それは不用品をメルカリで売ることもそうだし、部屋の片隅で山になっている積ん読本の消費もそうである。編み物、刺繍、料理教室など、今までやりたいと心の片隅で思っていてできなかったこともたくさんある。
精神疾患で予期せぬ休職ではあったが、ここは1つ、大学時代に次ぐ「人生の夏休み」という位置付けにして、自分のやりたいことを消化させてやろうではないか。

こうして、私はノートに「休職中にやりたいことリスト」をつらつらと書くのであった。
やはり真面目さは抜けきれない。でも今まで自分を蔑ろにしてきた分、この休職期間だけは、誰に何と言われようと、自分を「ご自愛」してあげるのだ。

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// WRITER'S PROFILE //

AYAKA KAWABATA

川端彩香。関西出身。一番やりたくなかった営業職として約9年働く。元カレに振られたことから自分磨きに勤しみ、その一環でライターに興味を持つ。将来は文章を生業にして生きたい。好きな作家は森見登美彦と有川ひろ。凹んだ時は女芸人のエッセイ。2024年にデンマークへ逃亡予定。

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