自分が正しいのか、間違っているのか、の判断基準は?~真面目人間のご自愛日記~

2024.01.13

自分のこの意見や考えは、はたして正しいのだろうか? とよく思っていた。

自分にとって居心地の良い環境にいる時はあまりそうも思わないのだが、私の場合、こういうことを頭に思い浮かべる時は、あまりにも自分と違う価値観に囲まれている時が大抵だった。
そういう環境下にいる時、いろんなパターンに分かれると思う。
あれ、なんかここヤバそうだなと危険を察知して逃げ出すことができるパターン。最初は「これっておかしいでしょ!」とどれだけ思っていたとしても、そのうち麻痺して「こんなもんなのか?」と思い始めてくるパターン。そして、「もしかして正しいのはあっちで、間違っているのは私なんじゃないのか?」と不安がいっぱいになってしまうパターンなど。

上辺だけなんとなく合わせて麻痺しているように見せかけ、仕事とプライベートで線引きできる人はいいのだが、そんな器用なことはできない人もいる。私もそのうちの1人で、上手く環境に適応できなかったから「適応障害」というものになってしまった。

私の場合は、麻痺と不安の二刀流だった。適応障害を引き起こしてしまった会社には勤めて6年だったのだが、働いている時も「???」と感じることは少なくなかった。そこに異を唱える時もあれば、まぁおかしいなとは思うけど飲み込めるっちゃ飲み込めるか……と、喉に刺さった魚の小骨をそのままにしておくこともあった。

そんな小骨たちを放置し続けた結果が今なわけであって、かと言って、じゃああの時どうしてたら良かったのか? という答えは当時も今も出せていない。

適応障害と診断をされてからも、私が間違っているのか? とか、私がダメだったからこうなったのか? ということばかりが頭の中でぐるぐるしていて、何が正しくて何が間違っているのかさえもわからなくなっていた。自分としては常識的な考えや判断をしていると思っていたけれど、その自信さえもなくなってしまった。


休職前に、産業医の先生と面談をした。
そもそも産業医ってどういう立場の人なのか、人事からも説明がなくわかっていなかったのだが、ざっくり言うと「会社と労働者(今回だと私)に対して中立な立ち位置の医者」だそうだ。変に会社にも私にも味方をすることがない。家族や友人はどうしても私に情が入ってしまっているので私の肩を持つ人が多いのだが(本当に有り難い存在ではある)、自分が正しいのかどうかがわからなくなってしまっている今の私にとっては、赤の他人からの冷静な、客観的な意見が欲しかった。私が弱っているからと言って甘やかさず、間違っているのなら「それはあなたがおかしいよ」と、正論をぶつけてくれる人が欲しかった。

産業医の先生がもとからそういう人だったのか、仕事だからそういう人を演じているのかはわからなかったが、冷静に、淡々と受け答えをしてくれた。私が悪いとも会社が悪いとも言わず、本当に、事実だけを答えてくれていた。


先生を信頼した私は「自分が正しいのか、間違っているのか、それさえもよくわからなくなっている」と打ち明けた。この人ならば、何かヒントを与えてくれると思ったのだ。

最初は自分が正しいと思って異を唱えても、その意見を潰されて、それを飲み込まなければここではやっていけなくて、仕方なく飲み込んでやっていたけれど、でも自分が正しくないと思う事柄は引き続き私の前で繰り広げられていて、でも何度訴えても私の意見は押し潰されて……。それを繰り返していくうちに、心身共におかしくなってしまった。自分が間違っていると思っていたものが間違いだったのだとしたら、正しいって何だ? その基準ってなんなんだ? ということが、私にはさっぱりわからなくなってしまっていた。

先生は少し考えたあとに「いろんな人に、同じ話をしてみることが1番」と言った。

家族、友人、同僚、知り合い、誰でもいい。誰でもいいけど、いろんな人に、同じ話をしてみる。全員に、テンプレートを話すように、まったく同じ話をしてみる。たぶん、それぞれに意見があると思う。それを自分の頭の中にストックして、自分で精査する。
世の中にはいろんな人がいるから、いろんな意見がある。似たような意見はあると思うけど、まったく同じ意見ばかりということにはならない。だから、あなたの質問にまず1つ答えるなら、「正しい、間違っている」に対する明確な「これ!」という答えはない。だから、あなたの中で答えを作らなければいけない。その答えを作るために「軸」を作る必要がある。その軸を作るために、いろんな人に同じ話をして、いろんな人の意見を聞くのが良い。そのたくさんの意見をもとに軸を作って、その上で自分にとっての「正しい」「間違っている」を判断する。何事に対してもそうしていくことで、しっかりとした軸が作られていくからブレにくくなる。そして、それがあなた自身の答えになっていくから、今後同じ状況になったとしても悩むことは少なくなっていくと思う。


それを聞いた私は、現状が好転も暗転もしていないにも関わらず、なんだか憑き物が取れたような感覚になった。そっか、そうすればいいのか、と妙に腑に落ちた。

休職期間に入ってから、友人をはじめ、話しても適応障害の症状が出ない同僚、学生時代のバイト先の店長、ご縁があって話す機会があったとある企業の代表など、自分が適応障害だということを打ち明けて、その原因について話をしてみた。本当にいろんな意見があった。
私のことを大事に思って怒ってくれる人、第一声に「頑張ったんだね」と言ってくれる人、そういう時はこうしたらいいんじゃない? とポジティブに変換してくれる人。さすがに私を責める人はいなかったが、いろんな人に話してみて、適応障害になる前より、考え方の軸が整ったような気がする。

休職期間がいつ終わるかはわからない。復職するか、退職するかも決めきれていない。でも、この先どうなって、どこに行ったとしても、私の「軸」がブレないように整えてさえいれば、今までよりは強い私で生きていけるような気がする。

「正しい」「間違っている」の判断は、いつでも自分基準。その基準がブレないように、いろんな人の意見や話を聞きながら、日々チューニングを怠らないようにして過ごしたい。

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// WRITER'S PROFILE //

AYAKA KAWABATA

川端彩香。関西出身。一番やりたくなかった営業職として約9年働く。元カレに振られたことから自分磨きに勤しみ、その一環でライターに興味を持つ。将来は文章を生業にして生きたい。好きな作家は森見登美彦と有川ひろ。凹んだ時は女芸人のエッセイ。2024年にデンマークへ逃亡予定。

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