復職せずに退職すると決めるまでの日々のこと~真面目人間のご自愛日記~

2024.02.21

適応障害になって休職して1ヵ月と少しが経過した頃、私はかなり元気になっていた。

休職前の症状は、心身共にいろいろとあった。頭痛・腹痛・立ち眩みのような身体に出る症状もあれば、ちょっとのことで異常に気分が落ち込んだり、かと思えば異常にイライラしたり、と精神的にも不安定だった。家で1人で過ごしている時や休日に友人と過ごしている時はそんな症状は出ないのだが、通勤中や業務時間内は、自殺願望はなかったものの、気を抜くと漠然と「消えたい」と思うことが常だった。

両親には休職中であることや精神疾患を患ったことを隠していたので、年末年始も仕事納めの翌日に帰省し、仕事始めの前日に自宅へ何事もなかったかのように戻った。実家では今までの帰省と同じようにのんびり過ごせていたのだが、自宅に戻ってドアを閉めた瞬間、なぜか涙が止まらなかった。くつろいでいたと思っていたけれど、「バレたくない」という思いで緊張して過ごしていたのかもしれない、と今なら思う。

そこから友人と会ったり、習い事や美容院に行ったりして、自分なりに気分転換をしたり、休職している間は好きなことをする時間に当てた。すると、休職して1ヵ月強が経過した頃には、まだ完全に元気! というわけではないものの、休職前に比べると、はるかに元気になった。心身共に適応障害と診断された頃の症状はほぼ出なくなっていたし、何より「消えたい」という思いが頭に浮かばなくなった。私にとっては、それだけでも嬉しかった。通院していた精神科の先生も「それは改善傾向にありますね」と太鼓判を押してくれたのも嬉しかった。

当初、休職する前、私は勤めていた会社に復職をする気だった。というか、そもそも休職をする気がなかった。産業医の先生と話した結果、いろいろと言ってくださったのだが「陽も悪くも、あなたがいなくて回らなくなる会社だったら、とっくに潰れてますよ」と言われたこともあり、休職した。のちにnoteなどでいろんな人の休職体験記を読む中で、同じようなことを書かれている方が多かったので、本当に良くも悪くも、私1人ごときがいなくなったところでどうにかなるよなーと、気楽になれたのだった。

そういった経緯で休職することにしたものの、退職する気は本当になかった。急ぎで引き継ぎをした同じ部署の人たちや、声をかけてくれた同僚たちにも「2ヵ月くらい休んだら戻ってくるんで」と言っていた。そう言うとだいたいは「いや、2ヵ月とか言わずにちゃんと休んだらいいよ」と言ってくれた。良い人の方が多いんだけどな……と、私が適応障害になってしまった諸々の原因を思い出して悔しくなりながら休職期間へと突入した(適応障害になった原因は、業務内容ではなく、一部の上司や同僚と合わなくて、という、人間関係である)。


そして心身共に健康に戻りつつあった頃、この先どうするか? ということが、ふと頭に浮かんだ。

いつまでも休職しているわけにもいかない。1人暮らしをしているので、家賃も光熱費も食費も、その他諸々のお金もかかる。傷病手当は貰うが、それだけではとんでもないがやっていけない。

となると、復職か……?

そう思考回路は巡ると自分でも思っていたのだったが、その選択肢が頭に浮かぶより先に、私の頭の中では「いや、退職しよう」と答えが出ていた。

なぜなのかはわからない。でも、復職という選択肢は、それからしばらく経たないと出てこなかった。でも、出てきたと同時に「いや、無理だな。復職はないな」という答えも出た。なぜなのだろう?

私なりに出した結論としては、いろんな選択肢を考えられる「余裕」が、私にできたからなのだと思う。

休職前の私は、今の仕事で、今のポジションで働き続けることでしか、自分の価値を感じられていなかったのだと思う。流行りの言葉だと「自己肯定感」というものがとても低い人間だった。口では強気に発言することも多いけれど、内心は他人からの評価にとても敏感だったし、自分がどういう立ち位置にいることがベストなのか、自分には何が求められているのか、ということを考えながら日々過ごしていた。
それが、休職してみるとそんなことは気にならなくなる。最初こそ、突然抜けたことによって上司や同僚に迷惑がかかっていないかどうかが多少気がかりではあったが、それも時間の問題で、どうでも良く思えてくる。迷惑をかけた人たちには申し訳なく思うが、こういう事態になった時のためにリスク回避ができなかった会社が悪い、と思えば少しラクにもなった。

休職して、周りからの目を気にすることがなくなると、自分の頭に少し空間ができたような感覚になった。今までは業務の忙しさで考えられなかったことが、たくさん頭に浮かぶようになった。頭に浮かぶそれらは、私がこれからの人生でやりたいことばかりだった。

あれもやりたい、これもやりたい、と行動に移したり、ネットや本でいろいろ調べたりした。その思いが暴走しすぎて、友人から「生き急ぎすぎ。すぐ死ぬわけちゃうんやからゆっくりしろ」とお叱りを受けたが、そういう指摘をくれる友人がいることも、やっぱり有り難いなとも思った。

復職をしない、という結論がすんなり出たのは、私の頭に浮かんだ「これやりたい!」の中に、会社がまったく浮かばなかったからだ。本当に、まったく。

業務内容が原因で適応障害になったわけではない。しんどいことも辛いこともたくさんあったけど、それと同じくらい、楽しいことや嬉しいこともあった(はず)。やりきった! とも、まったく思わない。だけど、考える余裕ができて改めて考えた時、もう自分の時間を休職前の業務に使いたくないと思った。別の、本当に自分のやりたいことに使いたいと思ったし、使うべきだと思った。そうすることが、私が私を大切にするということだと思うし、決して良いと言えるきっかけではなかったけれど、これからは自分を大切にして、自分の身体と心に耳を傾けて生きていきたいと思った。やっぱり、死ぬ時に後悔はしたくない。

そう決めてからは早かった。自宅の解約手続きをして、1番お世話になった上司に「話がしたい」と連絡して、ご飯に行った。上司は察していたのか「それがいいと思う」と言ってくれた。翌日には、人事に退職願のメールを入れて、週明けには受理された。

そして私は無事に、無職となった。

職はないし、来年には留学に行きたいと思っている。今の場所に居続けながら、派遣やアルバイトで食いつなぐか? とも思ったのだが、信頼できる占い師に見てもらったところ「実家に戻れ」と出ていると言われたので、素直に実家へ戻ることにした。傷病手当や失業手当だけで1人暮らしをする自信はないので、正直少しホッとしている。スピリチュアルを妄信しているわけではないのだが、迷った時に背中を押してもらえて助かった。

できればこんなことにならず、最後まで逃げずにしっかり働いて退職したいと思っていた。できれば、適応障害にもなりたくなかった。でも、自分の心身を傷つけてまでそうするもんでもない、とも思うし、実際に適応障害になったから気付いたことや、わかったこともたくさんある。生きていく上で余裕がないとダメだということや、当たり前だと思っていた家族や友人の有難みも、今まで以上に感じた。私にとっては、適応障害になって休職しないとわからなかったことばかりだ。

私を叱ってくれた友人の言う通り、私はまだまだ生きる。すぐ死ぬわけじゃない。
休職期間の経験や、気遣ってくれた人の存在の有り難さを忘れずに、これからも生き急がずに生きていきたい。

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// WRITER'S PROFILE //

AYAKA KAWABATA

川端彩香。関西出身。一番やりたくなかった営業職として約9年働く。元カレに振られたことから自分磨きに勤しみ、その一環でライターに興味を持つ。将来は文章を生業にして生きたい。好きな作家は森見登美彦と有川ひろ。凹んだ時は女芸人のエッセイ。2024年にデンマークへ逃亡予定。

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