努力が報われるとは限らないことはわかっているけど、努力が報われる世界であってほしいと思う

2024.03.05

「努力は必ず報われる」ということはない、ということをわかっているくらいには、私は大人になれていると思う。

幼い頃から、割と何事も投げ出さずにやってきた方だ。習い事、部活、バイトなど、例えば水泳だったら「一通りの泳ぎ方で泳げるようになったら辞めていい」という親の教えを守り、バタフライまで泳げるようになったら辞めた。幼い頃の英会話やそろばん、学生時代のバイトは卒業のタイミングだったり、留学や受験勉強に忙しくなったから、という正当な理由で辞めた。
だからか、続けることが得意な方ではあった。そして目標を設定して、それに向かって努力をすることも苦ではなかった。目標を達成した時の達成感はやっぱり清々しいし、もちろん楽しいことばかりではないけれど、自分がレベルアップしていくような感覚も好きだ。

しかし、努力したからと言って、その努力が必ず報われるとも限らない。
私がそのことを思い知ったのは学生時代で、交換留学の選考でのことだった。私は学力が高くなく、しかし一番費用が安い、かつ渡航期間が長い交換留学を希望していた。頑張って勉強していたつもりだったが、やはり選考からは漏れてしまった。
予想はしていたものの、ショックを受けている私の少し後ろで「受かったー!」とはしゃいでいる子がいた。2回生の時に同じクラスだった子だった。その子は「work」を「ウォーク」、「walk」を「ワーク」と発音する子だった。その子が選考を通過した理由は他にもあったのかもしれないが、当時の私は「中1レベルの単語を正しく発音できない奴に負けたのか……」と地獄を見た気分になった。こうして私は「努力は報われると限らない」を知ったのだった。

その状態は社会人になってからも遭遇するようになった。
皆さんにもないだろうか? 「なんでこの人が出世コースを歩んでいるんだ?」とか「なんでこの人が高い評価受けてるの?」とか、そんなことを思ったことがないだろうか?

私は先月、6年勤めた会社を退職した。どちらかというとやりたくない営業職であったが、退職理由は業務内容が嫌だったからではない。人間関係である。

私がリーダーをしていたチームに、新人が入社してきた。最終選考で落とされたにも関わらず、どうしても入社したい! と訴えてきたそうで、その熱意に負けて(?)入社してきたらしい。そんなに熱意がある人ならば、さぞかし努力をする人なんだろうと思っていたのだが、実際はそうではなかった。何事においてもルーズだし、教えたことを覚えようと努力する姿勢もない。指摘したことを直そうとすることさえ見受けられない。他部署の人からの評判もすこぶる悪い。そしてその悪評は、リーダーである私のもとへ、すべて舞い込んできた。

なんで、この人はこの会社にそんなに入りたかったのだろう? 率直に疑問が浮かんだ。しかし正直、この人がどういう理由でこの会社を志望していたかなんて、どうでもいい。問題は、私を含めた他のチームメンバーのモチベーションが下がったり、足を引っ張られて業務のパフォーマンスが下がることだと思った。

新しい人が入社してきた時、最初は何もわからないのが当たり前だ。即戦力であれば有り難いけれど、そうでなくても真摯な姿勢で業務に取り組んでくれるならば、即戦力でなくても構わないと私は思っている。私の思う「足を引っ張る」は、「即戦力か否か」ということではない。業務を覚えようとする姿勢があるかないか、なのだ。

もともと在籍していたチームのメンバーは、みんな努力をする人たちだった。家庭の事情で退職や休職をするメンバーが増え、在籍人数が減る中、どうにか取引先に対するサービスのクオリティを下げないようにしようと、私と必死に頑張ってくれていた。たくさん意見も出し合い、試行錯誤しながら一緒に業務を進めてきた。
そこに、入社前の面接だけ熱意があって、入社後の実務では悪評しかない人が混ざることを考える。そう考えた時に、言葉を選ばずに言うと、私は「いらない」と思った。今、私と共に頑張って、人数が少ない中どうにか努力して乗り越えようとしている人たちの中にこの人を入れることが得策だとは思わなかった。いくら人数が足りていないとは言え、士気を下げる人を入れられるくらいなら、少人数のまま耐えた方がチームの精神衛生上にも良いと思えた。

その旨を数ヵ月に渡り上司に伝え続けたのだが、最初は味方をしてくれていた上司も、最終的には決裁者の言うことには逆らえず「いつまでそんなこと言ってんだ」と私を切り捨てた。そしてその新人は試用期間を終えて正規雇用されたのだが、それがきっかけで私は適応障害になり、休職し、退職することになった。当初は復職する気だったが、仮に復職したとしても部署異動は見込めず、その新人と再び一緒に働くことを考えると吐き気がした。休職以降、もう2ヵ月半見ていないが、声や姿を思い出すだけでも気分が悪くなってしまう。私が戻ってくると待ってくれていた同じチームのメンバーには、本当に申し訳ないと思っている。

努力は報われるとは限らない。
いつの時代も、どこにいても、努力したからといって成功したり、思い通りになるとは限らないし、逆に努力をしていない人がなぜか報われてしまうこともある。それによって、頑張っていた人が潰されてしまうこともある。綺麗事ばかりの世の中じゃないことなんて、32年生きて、わかっているつもりだ。

わかっているつもりだけれど、どうしても願ってしまう。どうか、頑張っている人に報われてほしい。努力をしている人が、誠実な人が報われる世の中になってほしい。純粋に夢を追いかけている人や、社会を良くしようとしている人が、正しく評価される世の中であってほしい。変なねじれた価値観の人に潰されないでほしい。仮に、もし潰されそうになったら、逃げてほしい。まっとうに評価をされる場所があるはずだから、そこに居場所を移してほしい。

世界は毎日、理不尽なことで溢れている。
毎日ニュースを見ているだけで、そう思うし、疲れてしまう。
世界平和なんて、無理なのかもしれない。だけどせめて、何かに向かって努力をしている人が、報われる世界になってほしい。もし仮に報われなかったとしても、努力も何もしていない人が報われる世界はもうやめにしてほしい。頑張っている人が頑張ることをバカバカしく思ってしまうことほど、悲しいことはないと思うのだ。

悪評高い新人を採用して、それがきっかけで弱ってしまい、結果退職に至った私も「あんなに頑張った自分はバカらしい」と思った。思ったけれど、私は次のステップに向かって努力を始めた。

努力していない人が報われることもあるけれど、それはたまたまで、そんな稀なことは滅多に起こらないし、頻発するのであれば、それはきっと、そこの環境がそもそも狂っているだけだ。

努力は報われるとは限らないけど、報われるためには努力も必要。
報われるために、私はまた動き始める。

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// WRITER'S PROFILE //

AYAKA KAWABATA

川端彩香。関西出身。一番やりたくなかった営業職として約9年働く。元カレに振られたことから自分磨きに勤しみ、その一環でライターに興味を持つ。将来は文章を生業にして生きたい。好きな作家は森見登美彦と有川ひろ。凹んだ時は女芸人のエッセイ。2024年にデンマークへ逃亡予定。

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