「逃げるは恥だが役に立つ」の意味を考える~真面目人間のご自愛日記~

2024.02.06

「そもそもさ、仕事を辞めることを『逃げる』って言うの、何なんやろな?」という発言が飛び出したのは、先日のSEICHOTSU magazine打ち合わせ中のことだった。

確かに。なんで「仕事を辞める=逃げる」っていう認識が蔓延っているんだろう?


適応障害になり、休職し始めて約1ヵ月半が経過した。適応障害は、その原因から離れることで症状が改善すると言われているが、本当にその通りで、休職前では考えられないほど回復した。体調面では、お腹や頭が痛くなることがなくなり、食欲も安定した。寝つきも良くなったし、起床時に感じていた頭痛や吐き気も、本当になくなった。精神面でも、休職前は「消えたい」とずっと思っていて、家でも会社でも気を抜くと涙が出ていたのが、そういった諸々の症状もなくなった。休職前の私は、心のコップの水が溢れ出るギリギリの状態だったのだなと、諸々の症状が落ち着いて冷静になった今は思う。どうにかこぼれないように必死に取り繕っていたが、休んで冷静になると、ほんの1ヵ月前の自分のことも落ち着いて客観視できるようになっている。

症状が落ち着くと、頭の中に余白ができた。今まではひたすら「消えたい」「しんどい」という思いが頭の中を占めていたが、それらがなくなったので、物事をクリアに考えることができるようになっていた。休職期間中の過ごし方も、私には合っていて良かったのかもしれない。

「考える」ということができるようになった時、考えなければいけないと思ったのは、今後の仕事についてだった。現在休職している会社に復職するのか、退職するのか、退職するのであれば、次はどうするのか。生きている以上、お金を稼がなければならない。そうするには、働かなければならない。考えないとな、と思った瞬間にはもう答えが出ていた。自然と、「辞めて次に進もう」と思っていた。

「逃げる」という言葉は、ある意味呪いのような言葉だと思っていた。私自身、とても嫌いな言葉だった。
幼少期から、何事も「継続することがえらい」「途中で投げ出すことは悪」だという考えが染みついていた。両親は、今では「嫌やったら辞めたらいい」と言ってくれるが、当時は「途中で投げ出すな」「最後までちゃんとやりきりなさい」という教えを徹底している親だった。「自分で考えて、本当に嫌なら辞めていい」とは言ってくれていたが、自分でよく考えた末に、嫌という思いよりも「辞めるのが怖い」という方が強くなってしまっている自分がいた。

そういった経緯もあり、幼少期の習い事も、短期間で辞めることはなかった。そろばんも習字も、中学に上がるまで続けていたし、塾も中学3年間通っていた。中高の部活も辞めようとしたタイミングは何度もあったが、辞めることなく引退まで続けた。大学のアルバイトも、留学に行くタイミングで辞めるか、卒業のタイミングで辞めるかのどっちかだった。こう考えると、私は今まで「嫌だから辞める」という選択をあまりせずに生きてしまっていた。そしてそういう生き方をしていたがゆえに、「辞める=逃げる」という等式も、自然と頭の中に出来上がってしまっていた。

きちんと言っておきたいのだが、両親はよく言われる「毒親」ではない。私は両親の教育のおかげで根性というものがついたような気がするし、簡単に物事を投げ出すことも、そうなかったような気がする。両親が悪いと思ったことは、一度もない。

そして一旦、その「辞める=逃げる」の等式が正しいとするならば、私が初めて「逃げた」のは、社会人として初めて勤めた会社を退職した時だった。約2年半勤めたその会社は、仕事自体は楽しくて好きだったし、扱っている商品も好きだったのだが、だんだん給与に満足できなくなってきた。細かい嫌なことは、もちろんいろいろあったのだが、退職の決定打となった理由は「給与が不満足」の1点のみである。そして私は会社を辞めた。これが、私の「初逃げ」である。

そして私は今、人生2度目の「逃げ」をしようとしている。
でも、自然と「退職」という選択に至った私は思った。これって「逃げ」なんだろうか?


打ち合わせ中に出てきた「逃げってなんだ?」から、1つ思い出した言葉がある。それが、「逃げるは恥だが役に立つ」だ。漫画原作で、2016年にガッキーこと新垣結衣と星野源で実写化され、恋ダンスが社会現象にまでなった、あの有名ドラマのタイトルだ。もとは、ハンガリーのことわざらしい。

「逃げ恥」と略されて呼ばれていたタイトルではあるが、実際どういう意味なんだろうか? 当時も調べたが、なんだかよくわからなかった。ドラマが放映されていた2016年はまだ前職に勤めており、「逃げ」未経験だった。「逃げるは恥だが役に立つ」の「逃げるは恥」はわかるけれど、じゃあ「役に立つ」ってどういうことだ? 当時の私には到底理解ができないことわざであったことには間違いなかった。

そこから7年の時を経て、私は再び「逃げるは恥だが役に立つ」の意味を調べることとなった。ドラマの中で、星野源演じる津崎平匡は「逃げるは恥だが役に立つ」の意味を、こう言っていた。


「後ろ向きな選択だっていいじゃないか。恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことの方が大切で……。その点においては異論も反論も認めない」


7年前は、どういうことだ? とよく意味がわからなかったが、今度はすっと心の中に入ってきた。それは、私が今置かれている状況と、これから進む先が「逃げるは恥だが役に立つ」そのものだったからかもしれない。


確かに、人から見れば、私が今回退職をすることは「逃げ」になるのかもしれない。私としては「逃げ」だと思っていないが、もしかしたら何年か経った時、今このタイミングで復職することなく退職を選んだことを思い出して、「あの時、私は逃げたのかもしれない」と思うのかもしれない。でも、それでもきっと良いのだと思う。今の私が、私のこの選択を「逃げじゃない」と思っている。そしてこれから先は、自分のやりたいことや、好きなことで生き抜こうとしている。自分が居心地の良い場所で、居心地良く生きていこうとしている、ただそれだけだ。それでいいじゃないか。これが逃げでも、逃げじゃなくても、どっちでも良い。私がこれからの人生を楽しく生きていくために選んだことだ。誰かに「それは違う。間違ってる」と言われたとしても、何も間違ってない。そんな意見は聞かなくていい。私の人生は、私が生きなければならない。逃げるも逃げないも、私が決めるのだ。

私の頭に約32年こびりついていた「辞める=逃げる」の等式が崩れた瞬間だった。
私は逃げたのかもしれない。でも、私の認識としては「逃げた」というより「生き抜く場所を変えた」だけだ。

これからも逃げることがあるかもしれない。でも、逃げることが悪ではないとわかった今の私は、今までよりも格段に生きやすくなった気がする。

そして今まで「座右の銘は?」と聞かれても、いまいちピンとくる言葉がなく、「1日1善」とか「健康第一」とか適当に答えていた私だが、この日を境に「逃げるは恥だが役に立つ」が座右の銘となった。プロフィールかどこかに書いておこう。

この先の人生も長い。
時には上手く逃げながら、自分の心地よい場所で生きていきたいと思う。

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// WRITER'S PROFILE //

AYAKA KAWABATA

川端彩香。関西出身。一番やりたくなかった営業職として約9年働く。元カレに振られたことから自分磨きに勤しみ、その一環でライターに興味を持つ。将来は文章を生業にして生きたい。好きな作家は森見登美彦と有川ひろ。凹んだ時は女芸人のエッセイ。2024年にデンマークへ逃亡予定。

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